心理カウンセラーを自称する長谷川博一という男が、クライアントの女性たちと性的関係を持っていたことが暴露され、週刊誌を始めとした様々なメディアで取り上げられている。

世間の人々は、「まさか高名な心理カウンセラーの先生が患者に手を出すなんて!」と驚いているが、私はこのニュースを聞いてあまり驚かなかった。

 

なぜなら、中学生の頃、教師たちからいじめられていた私にとって、「先生」という存在は権力を笠に着た悪い人間の代表だったからだ。

自分を「先生」と呼ぶ人間が嫌いだという記事で書いたように、私は自分を先生と呼ぶ人間が大嫌いである。

 

先生というものは自称するものではない。
生徒たちを導く存在として人格の認められた人たちが生徒たちから尊敬を込めて呼ばれるべき呼称だ。

 

しかし、自称先生たちは、なんの疑問もなく、自分のことを先生と呼ぶ。

 

そして、生徒を下に見る。

 

もちろん、中には良い先生もいる。
私の娘の担任の先生なんて素晴らしい人たちばかりだ。

 

しかし、私が中学生だった頃に出会った先生は、人間のクズたちばかりだった。

 

先生という理由で威張り、私を虐め続けていた。

 

立場が先生というだけで、何も優れたところなんて無いのに。

優れたところが無いどころか、欠点だらけだった。

 

 

そんなわけで、私は先生を自称する人には、まず疑いの目を持って接することにしている。

 

冒頭に述べた長谷川博一もそうだ。

 

彼は、不登校支援をしているので不登校業界(?)ではそれなりに名が知られている。

私も知っていた。

 

だが、彼の言っているところはどこかおかしいとずっと思っていた。

 

私はずっとツイッターをチェックしていたが、発言に心がこもっていない。

 

いつも冷たい響きのする発言をするのだ。

表面的には優しそうに見える。

「どんなに辛くても死んではいけません」

 

・・・この言葉は本当に表面的なものだ。

 

だって、自分の患者を自殺したいほどの地獄に突き落としても平然とツイッターで毎日毎日業務報告をしているのだから。

 

 

彼は似非心理カウンセラーかもしれない、長い間そう思っていた。

 

 

そして、今回の事件。

 

おそらく私の予想は当たっているだろう。

 

 

彼は普通の人の感覚を持っていない。

なぜなら、性犯罪被害者が声をあげているのに全く謝罪をしないどころか自分が被害者だと述べているからだ。

心理カウンセラーの先生がわざわざクライアントの家にまでおしかけ、ベッドに横になり、その地位を利用してカウンセリングと称した性的暴行を加えているのに、「自分は被害者だ」と言っているのだ。

 

被害者が涙ながらに訴えているのに全く謝罪をしないどころか傷口に塩を塗り込むような発言を繰り返している。

 

極めつけは彼のツイッターでの発言だ。

 

ニュースなどで報道された後も自己弁護以外は通常通りの心のこもらない発言を繰り返している。

 

実際に見ていただければわかるが、薄ら寒くなるほどだ。

 

だから、私は確信した。

 

この男は人の気持よりも自分の権力と金を優先する残念な人間なのだ、と。

 

通常の人間の心を持った人ならば、性犯罪被害者に謝罪くらいはする。

 

しかし、長谷川博一は被害者に一切謝罪をしないどころか、被害者を攻め立てている。

 

温かい血が流れている人間にはこんなこと出来ないだろう。

 

これだけ証拠が出ているのに被害者を責めるだけで平然と業務をやってのけているので、まともな神経の持ち主だとは思えない。

 

 

先生というものは、生徒と性交渉をしてはいけない。

たとえ生徒から誘われても絶対に生徒と性交渉に及んではいけない

なぜなら、立場上、生徒は先生に憧れてしまうのだが、それは本当に先生を愛しているわけではなく、別の感情だからだ。

たとえば、自分の病気を治してくれる人や自分の知らないことを教えてくれる人を尊敬するが、それは恋愛感情ではない。

間違えやすいが恋愛感情ではないのだ。

そのため、恋愛感情かと勘違いして先生と付き合った人はすぐに気づく。
本当はこの人のことを愛してはいなかったと。

愛していない人と性交渉に及ぶほど生徒や患者を苦しめることはない。

 

だから、先生と生徒は決して性交渉を持ってはいけないという決まりがある。

 

これはあらゆる「先生」と呼ばれる職業に通じる倫理である。

 

医師しかり。
弁護士しかり。
心理カウンセラーしかり。

 

これに異論がある人はいないだろう。

 

もしこれを許してしまうと、最初から力関係の弱い生徒や患者は「先生」に操られるがままになってしまうからだ。

こちらのニュースをご覧になっていただければわかるが、長谷川博一という男はどんな大罪を犯しても言い訳をするばかりで謝罪をしない人間である。

 

「10代の頃に性犯罪に遭ったので、前後不覚になってしまう」という理由によって、女性クライアントの家に押しかけ、性交渉に及んでいる。

 

私は日本人だがこの日本語の意味がさっぱりわからない。

 

いい年をした男が、心理的に弱った力なき女を目の前にした時に前後不覚になってなぜセックスをするのだろう。

 

悲しいことに、このような悪質な心理カウンセラーは長谷川博一だけではない。

 

大多数の心理カウンセラーは真面目な人たちだが、一部にはこのような人間も混じっている。

 

だから、今、心が弱って教育委員会だとか心理カウンセラーだとか誰かに相談したいと思っている不登校の子やその親御さんに知ってもらいたい。

 

100%他人に心を許してはいけない。

 

弱っているときほど、誰かにすがりたくなるだろう。

しかし、誰かにすがったときからが地獄の始まりの場合だってあるのだ。

 

だから、どうか、これだけは知ってほしい。

 

子供が学校に行かないことは悪ではない。

 

悪ではないのだから、不登校カウンセラーに頼る必要はない。

 

子供が再び学校へ行ってくれたら、親はだろう。

 

しかし、それは決して幸せを意味するものではない。

 

私は長い間不登校だった。

 

しかし、それでも大学へ行って就職して結婚して子供もいる。

 

過去に不登校をしていても”幸せ”に生きることはできるし、その権利は誰もが持っている。

 

だから、どうか、本当に苦しいときこそ、”神頼み””先生頼み”なんてしないでほしい。

 

 

もし、何かに頼りたいのなら、文明の利器に頼るといい。

 

たとえば、子供が学校へ行かない間、ずっとプログラミングの勉強でもさせてあげてほしい。

 

プログラミングさえできれば、学校になんかいかなくたっていくらでも仕事がくる。

 

今の時代は、東大を出たってパワハラで会社に殺される時代だ。

 

だから、学歴や何かにすがるのではなく、自分で生きる力、自分で稼ぐ力を身につけることが最も子供のためになる。

 

子供が学校に行かないからといって必要以上に悩むことはやめて、逆に「時間がたくさんできた。ラッキー」と思って子供にプログラミングの勉強をさせてあげてほしい。

 

素晴らしい人生の幕開けだ!

 

お勧めのプログラミングスクール