新潟県で子供がいじめを苦にして自殺した保護者に対し、山田某教育長が不適切な発言をしたことを理由に辞職している。

 

このニュース自体に私は驚かなかった。
だって、教育長なんてくそばかりだと身をもって知っていたからだ。

 

それでもちょっとショックなことがあった。

 

それは、この事件に関しコメントを寄せたスクールカウンセラーが「親しみを込めてこのような発言をしたのだろう」と擁護している点だ。

 

彼はわかっているのだろうか。

 

自分も教育者側の人間であり、そのような発言は自分の保身のための発言であって、いじめられた子やその両親にとって何の救いにもならないということを。

 

いじめられた側の気持ちはいじめられた子にしかわからないと思う。

 

どんなに人の話を聞いても理解できないと思う。

 

私はいじめられていた側であっていじめた側ではないからいじめっ子の気持ちがわからないように、いじめっ子やいじめたこともいじめられたことも無い者にいじめられっ子の気持ちなどわかり得ない。

 

だからこそ、軽率に加害者を擁護するような発言をしてほしくない。

 

被害者はただでさえ人格をけなされているのだ。

これ以上苦しめないでほしい。

 

少なくとも、自分が教育者であると自覚している人には、「自分の発言の重み」というものをしっかりと認識してほしい。

 

 

子どもたちにとっては、大人、特に先生の言葉は絶対なのだ。

 

生涯忘れられないほどの感動を与えることもできれば、生涯消えない傷を作ることもできるのだ。

 

「職業としての教師」の道を選んだ人にはその覚悟はないのかもしれないが、だとしてもこれからその覚悟を持ってほしい。

 

いじめを受けてから20年以上経過し、今では何の後遺症も無いと思い込んでいたが、どうやら私の中には未だに闇が渦巻いているようだ。

 

人の気持ちに無頓着な教育者が憎い。

 

自己保身のことしか考えない教育者が憎い。

 

いじめられる子、いじめられっ子の両親の無念さを考えると胸が張り裂けそうになる。

 

いじめや教師の心無い言葉が子供に与える傷は大きく深い・・・。