小学5年から不登校だった私は、中学生になったらちゃんと学校へいこうと思った。

 

そして、実際に中学校へ通っていた。

 

中学校では最初のうちは楽しく学校生活を送っていた。

 

しかし、たまに違和感を感じた。

 

それは、担任のU先生(英語の先生。当時27歳くらい)が私にだけ冷たいということだ。

 

一度、プリントを提出するときに手が触れてしまったのだが、そのとき、先生はゲテモノに触ったかのように拒絶反応を示した。

 

「汚い」とはっきりと言われた。

 

その時のショックは未だに忘れられない。

 

2、3ヶ月経ってから、なぜ先生が私にそのような態度をとったのか理由がわかった。

 

 

それは、作文を提出するときのことだった。

 

テーマは皆、自由に決められるのだが、私は中学生ならやりがちな「環境問題」をテーマに選びた。

 

「環境は大切にしなければいけない」という正義感からというよりは、無難なテーマを選んでおきたいという気持ちからだ。

 

そして、作文を提出したのだが、提出後、先生からこう言われた。

 

「小学生の時の経験を書けばいいのに」

 

先生の目は私をさげずむような軽蔑するような冷たい目をしていた。

 

 

その時、私はすべてを悟った。

 

先生は私の不登校のことを私の親か誰かから聞いて知っているが、私が学校生活を過ごしやすくする気なんて無いのだと。

 

親が中学校側に話したのかもしれない。

 

または教育委員会が「要注意人物」として中学校に忠告したのかもしれない。

 

「この子は問題児だ」と。

 

 

確かに私は過去に不登校をしていて、「扱いにくい生徒」だったとは思う。

 

しかし、中学校では不登校をしていなかった。

 

もともと内気だし、大きな体を縮こまらせてなるべく目立たないようにしていた。
自分から率先して発言することはなかったし、自我を出さなかった。

 

だから、問題らしい問題は起こしていなかった。

 

しかし、偏見の目で見ると、その人のすべてがおかしいように思えてしまう。

 

これはアメリカの有名な実験でわかったことなのだけど、人は、他者を見るときにバイアス(偏見)を持っていると、その通りに見ようとしてしまうのだという。

 

たとえば、予め「これから会う人は有名な会社の社長です」と言っておくと、ヘロヘロのTシャツとジーンズを着ている人に会ったとしても神々しく感じてしまうのだという。

 

逆に、「これから会う人は詐欺師です」と言っておくと、本物のCEO(会社のトップ)で立派な身なりをしている人でも胡散臭く見えてしまうのだという。

 

だから、人に偏見を植え付けるといとも簡単に人心を操作出来てしまう。

 

そして、私は、先生たちから偏見に満ち満ちた目で見られて過ごした。

 

「お前は不登校児だったから精神の病気なのだ」と。

 

「病気の精神異常者は健常者を理解できないだろう」

 

いつもそういった態度をとられてきた。

 

 

今から思えば、誰かに相談すべきだった。

 

「先生たちが私をいじめる。誰か助けて!」と。

 

 

しかし、「親が中学校に告げ口したんだ」と思い込んだ私は、親を恨み、誰も信用できなくなっていた。

 

そのため、毎日先生からのいびりを自分だけのものとして抱え込んでいた。

 

そのストレスは私を本物の病人にするのに十分だった。

 

 

「人間のくず」
「病人」
「病気持ち」

 

担任からは様々な名称で呼ばれた。

 

おかげでしばらくの間は英語が大嫌いになった。

 

国語のS先生(50代?)もU先生と同じで私をいじめてきた。

 

テストだと毎回ほぼ満点なのに、作文のときは必ずクラスで一番低い評価をくだされた。

「普通の人間のフリをするな」と眼鏡の奥から背筋が凍るほど冷たい目で睨みつけながらS先生はそう言った。

 

大人になった今から考えれば、とんでもない言葉の虐待の連続だが、相談相手のいなかった私には、ただ、毎日耐えるしかなかった。

 

ただ、すべての先生が悪かったわけではありない。

 

ある日、新しく数学の先生がやってきたのだが、その先生は私をすごくかわいがってくれた。

私は性格的には素直だし授業中も真面目だし、毎回100点をとっていたし、何より、「新任の先生は私の不登校の過去を知らされていなかった」。だから偏見を持たずに私に接することができたことが一番の原因だと思う。

 

その先生のおかげで、ボロボロだった精神はどうにか持ちこたえることができた。

 

しかし、中2まではどうにかなったが、中3のときにはもう無理だった。

 

貯めに貯めたストレスと恐怖のため、学校へいけなくなってしまった。

 

中3のときの先生は、中1のときの先生ほどひどくはなかった。

 

だから、先生のためにも頑張って学校に行こうとは思った。

 

でも、一度学校を休むとその楽さから、次の日もその次の日も休むようになってしまった。

 

 

私にとって一番辛いのは掃除の時間だった。

 

掃除のときは担当の場所が決まっていてたまに変わるのだが、中3のとき最初に担当になった場所が音楽室だった。
そして、掃除の時間にその部屋を担当している先生がいつも私を睨みつけてきた。

 

その先生には中2のときに嫌われた。

 

理由は、私が反抗したからだった。

 

中2のとき、私は先生からいつものようにいじめられていたのだが、精神的にきつかった私はその日は素直にうなだれず、先生のことを思い切り睨みつけた。

 

先生は一瞬ひるんだ。

 

しかし、憎しみを込めた目で私を睨み返してきた。

 

それからは私はその先生の授業の度にいびられた。

 

そんな先生が音楽室の担当だった。

 

私は毎回毎回いじめられた。

 

どこが汚い。ほこりがついたままだ。

あんたの心の汚さと同じだ。などなど・・・。

 

酷いときには、雑巾を絞った汚い水の入ったバケツを見ながら、飲んでみろとはやしたてた。子どものように。

 

それを見た男子たちが面白そうに一緒にはやしたててきた。

 

そのせいで、次の日は音楽室に行けなくなった。

 

掃除をしなくてはいけないのだけどわざとトイレにこもったりこそこそして音楽室へ行く時間を遅らせた。

 

そのせいで余計怒られた。

 

 

学校に私の居場所はなかった。

 

 

だから、学校を休んだ。

 

 

先生から汚い言葉を投げかけられない生活。

家で布団にくるまっているだけの生活。

 

それは、私にとっては天国だった。

 

 

義務教育なのだから学校に行かなくてはいけないということはわかっていた。

 

 

でも、もう無理だった。

 

 

中3になってもU先生の言葉が頭を離れない。

 

 

人間のくず。

病気持ち。

気持ち悪い。

 

数学の先生が私をかわいがってくれたように、私は「普通のこども」だった。

(もし数学の先生が最初から中学校にいたら、他の先生と同じように私のことを知らされて、私を差別していたかもしれないが)

 

そして、大人になった今だからわかるように、私は「小学生のときに不登校になったことがあるだけの弱い、何も言い返せないただの子供」だった。

 

私は自分が本当に病気なのかもしれないと思っていろいろと調べたことがある。

 

それでわかったことは、「私には特に異常はない」ということだった。

 

アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だとかその他何らかの発達障害かなにかかと思ったのだが、そうではなかった。

 

だから、今いじめを受けている人とその親御さんに知ってほしいことは「誰でもいじめの被害者になる」ということと「新しい学校に行くときは、不登校の過去を先生に話してはいけない」ということだ。

 

私の場合は、もし、親が中学校に話していなかったら普通に生活できていたはずだ。

 

友達関係では特に問題はなかったから。

 

 

「偏見」とは本当に恐ろしいものだ。

 

一度偏見の目で見られると、それを払拭することは並大抵のことでは無い。

 

だから、少しでも楽に生きるためには偏見を持たれないように「普通のように振る舞う」ことが大事だ。

 

波風立てなければ普通に生きていける。

 

だって、凶悪犯罪を起こすような人も「まさかあの人が」とか「目立たない人でした」なんて言われている。

 

だから、誰でも目立たなければ学校生活を無事にやり過ごすことができる。

 

 

何事もなく学校を卒業したいのだったら、絶対に教育委員会や先生やカウンセラーに相談してはいけない

 

そうではなくて、自分たちで問題を解決しないといけない。

 

幸いなことにこのページを読んでいるあなたは、私の過去の失敗を繰り返すことは無い。

私と同じ失敗をせず、無事に学校生活を終えることができる。

 

・・・ただね、私は中学校で不登校になってしまっても良かったと思っている。

 

なぜなら、心がボロボロになってしまったから。

 

中学の頃から家で過ごして好きな勉強をしておけばよかった。

 

私の場合は、英語の先生が嫌いだったことで最初は英語の勉強をするつもりはなかったけれど、しばらく不登校をしていたら、逆に「U先生を見返してやる」という気持ちが湧いてきてめちゃくちゃ英語を勉強した。

 

おかげで英語はペラペラになったし就職のときにも役に立った。

 

私の今の英語力は確実にU先生より数段上だ(当時の中学の先生の英語力なんて、いいところTOEIC700点レベルだろう)。

これは20年も前の話だから現代の子が英語が出来るようになっても英語だけで就職が楽になることは無い。

 

今の子は時代に即した努力をすべきだ。

 

もし私の子どもが不登校になったら私は子どもにプログラミングをさせるつもりだ。

 

だって、これほど役に立つことは無いから。

 

プログラミングは面白いし仕事にも役に立つ。

 

たとえ中卒や高卒でも仕事にあぶれることはない。

 

 

一度失敗をした私は、二度と失敗をしない自信がある。

 

今、もしあなたやあなたの家族が不登校をしていて苦しんでいるのなら、苦しむことはない。

 

逆にプログラミングでもしながら愉しめばいい。

 

お勧めのプログラミングスクール